お帰りなさい。パワーストーン金運 幸運 天然石アクセサリーの 幸せ長者です。 誰にでも、美しく.幸福に.カッコよくなる権利があるんです。 僕はそのことをソッと伝えたいだけ・・・・。 ちょっと頑張れば、誰だってヒーローになれる。もっと自信を持って素直に自分を表現してみませんか?。 そこから、幸運・開運・夢・・・願望実現の扉が開くのです。 幸せ長者の天然石アクセサリーが、いつでも貴女のお手伝いをしますので・・・・いつでもご相談してくださいね。パワーストーン 天然石からは、高次元の波動が出ています。サイトからも波動を感じることが出来ますので、是非、ストーンの画面に手をかざしてパワーストーンの息吹を感じ取ってください。 あなたにあった、あなただけの幸せ物語、オンリーワンストーリーを幸せ長者の開運ブレスレット、金運幸運ストーンで呼び寄せてください。
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書いてるうちに長くなってしまいましたので、適当に飛ばして違うページへ移動願います(笑)。

 

昭和40年代初頭に北海道札幌で アクセサリー職人の3人兄弟の長男として生まれる。

そんなわたしが、どんな人間だったかと言いますと、・・・幼稚園のときからイジメラレッ子でした。
もちろん小学校・中学校でも筋金入りのイジメラレッ子でした。

自己分析すると、イジメれるのは、優しい顔をして大人しくしているからでした。

イジメは学年が上がるたびにエキサイトな内容になっていきました。

幼稚園時代は、口だけによる攻撃(口撃)のみでしたが、小学校に入ってランドセルに蹴りを入れられたのを皮切りに、中学では、ハラにひざ蹴り、顔にビンタ、おまけにお金までとられましたよ。

「死ね!」といわれたこともありました。

本当に生きた心地がしませんでしたね。
無事、家にたどり着いた時には、ドッと一日の疲れが噴出する感じがしました。
とにかく家に着いたら、もう何もする気力が無かったのを覚えています。
それを、言い訳にするわけではありませんが、学校の成績はすこぶる悪かったです。

親や学校の先生だけでなく、同級生からもあきれられるくらい酷い成績でしたね。

そんな子供でしたから、親も心配したのでしょう。
何か生きがいを見出してあげたい一心だったのでしょう、少年野球団にいれたり、書道教室にいれたり、絵画教室にいかされたり・・・。
だけど結局何も身につかない、親心が理解できない、そんなアホな息子でした。

 


中学3年生の1学期の時、進路面談の時にあまりの成績の悪さに先生があきれ返る。
「キミの入れる公立高校(北海道は公立のほうが格が高い)は存在しないから・・・私立の選願(私立1校だけを受験する)にしなさい・・・そうすれば、相手も落とすことは無いから・・・」

悲痛な表情で先生は言った。

その言葉を聞いて、わたしは自分の成績の悪さが非常事態宣言並みのランクだと知る!

でも、「キミの入れる学校は存在しない・・・。」この一言には燃えましたね。
本当のことなんだろうけど、燃えましたよ!

それから猛勉強です。

それから、数ヵ月後、2学期の進路面談の時には、先生の態度が一変しました。
「すごいじゃないか・・・この成績ならかなりのランクの学校も目指せるぞ!公立でも大丈夫だ!選願はやめて公立も受けなさい!」

やりましたね!1学期とはまるで違う表情の先生にとまどいながらも、努力が報われたのを覚えています。

そして、自宅から近い公立高校へと新入学。

なんと、新設校でわたし達が第一期生ですよ。
校舎はキレイで、怖い先輩だれもいなくて、女生徒の方が3割も多い!
これで、なにが不満なんだ!


でも・・・・・・

 

少しずつ学校へ行くのがイヤになっていきました。

(なぜ?なぜなの?なにが不満なのよ????【現在のわたしの声】)

特にイジメとかは無かったです。

 

 

なんか、人と接することに恐怖感が出て来て、お昼休みの時も一人で過ごすようになっていきました。
でも、誰とも話したくない!接したくない!独りになりたい!衝動が強くなっていき、先生にウソをついて早引けするようになっていったんです。

サボルにしても田舎でしたのでマクドナルドもありません。

野原でボケ〜と時を過ごしました。

このときから、草や木、それに自然の風の声を感じるようになります。

カッコよく書きますと、スピリチュアル能力が開花?された時期。

と、なるのでしょうか?

ごまかし、ごまかし、学校をサボり始めるのですが・・・高校1年の2学期のあたりで限界が来ました。
16歳。登校拒否スタートです。

本格的な、登校拒否・引きこもり生活がはじまりました。
家族以外の人とは一切話をしない、異常な生活のスタートでした。
人と会うことに苦痛がありましたので、散歩はもっぱら深夜と早朝でした。

深夜でも危ないことには何一つ遭遇しませんでしたね、それだけ治安が良かったのでしょう。
ある意味、あの時引きこもっていてツイてました(笑)。

早朝の時間帯には、美しい朝焼けに感動して言葉を失ったこともたびたびでした。
緑溢れる草・木が、わたしを歓迎してくれているようでした。

星がまばらに見える真夜中のキャンパスに、風にゆられる霧雨のダンスは、お見事の一言です。

こんな美しい惑星に住んでいたのかと、感謝の念が湧いてきたのを覚えています。
しかし、夢の時間はそこまで。

いざ、学校に行こうとすると、急に心が重たくなったもんです。
結局、何度チャレンジを繰り返しても登校できず、折角入った高校は中退しました。
(先ほども書きましたがココだけの話、とてもよい環境の学校だったんですよ!開校1年目でおっかない先輩いないし!校舎はきれいだし!女生徒が一クラス10名も男子より多い!もったいない、もったいない、ですがしかたありません。マータイさんはどう思いますか?【笑】)

そして当時、相談するところなどありませんでしたので、精神科に通うことは自然の流れだったものと考えています。

わたしは、薬では治すことはできない事は分かっていましたが・・・・・。

その後、高校を中退して3年ほど完璧なウツ状態で引きこもり生活を悶々と続けました。

いつもでも家にこもっているわけにいきませんので、19歳でアルバイトを始めます。

しかし、人と接触するのが嫌でしたので、人と話をしなくても済む、皿洗いや、解体作業のアルバイトを始めました。
解体作業は朝 親方から、ここの壁をドリルで崩しておけ!一言命令されたら、それだけの作業を無言でひたすらできましたので、自分には向いていた感じでした。
でも、作業が終わると全身コンクリートの粉だらけ。
これは結構きつかったですね。

皿洗いのアルバイトは、夜のキャバレーでした。

いざ働いてみると、料理やお酒を運ぶ仕事もありましたので、ほろ酔い加減のおじさん客からよく声を掛けられましたね。

そのとき、ギャグを言って笑いを取ると、ご祝儀で1杯ごちそうしてくれたものです。

何かの間違いで?そこそこモテて、女性に追いかけられたことも何度かあります(青春?)。

 

でも・・・人間関係は最悪に時期でした。

会う人会う人すべてが敵になるような感じでしたから・・・。

誰とでも衝突していましたね。

それで、わたしの周りから誰もいなくなった時期がありました。

わたしは、どこにも行くところがなくなってしまいました。

当然、友人は一人もいない状態でした。


そのころからですね、色々なセミナーに出席するようになったのは。
色々なセミナーに出ました。
シルバマインドコントロール(シルバメソッド)、自律訓練法、自己暗示法、記憶術、ロバートシュラー博士のカセットプログラムアタッシュケース入りで29万8千円也!。それに、ポールジェイマイヤーSMIカセットこれも当時で28万円ほどでした。
せっかくの稼ぎをわたしはこんなことに使いまくっていたんです。
二十歳前後の若造がですよ・・・ちょっと誰か止めてくださいよ、、、そんな感じでしたね。

でも、それだけ、何とか自分を良い方向に変えていきたいと考えていたのでしょう。

気が付くと、20代半ばのときにはセミナー・教材だけで300万近くを消費していました。
このままいってたらセミナー破産するとこでした(^笑^;。


23歳。いつまでもアルバイトではイカン!と、親族からも言われて就職活動を開始するが、高校中退・引きこもり経験者のハンディは思いのほか重く、片っ端から採用お断り通知を浴びせられました。

そんなわたしの悲惨な姿を見るに見かねた親様のご紹介で、とある会社に入社。
そこで、東急百貨店の店を担当するようになるのです。
アクセサリーや天然石とも、その会社で出会います。
ゴールドや宝石も扱っていましたが、わたしは天然石(パワーストーン)の美しさに魅了されました。

わたし達の売り場はとにかくよく売れました。

バブルの時代の話ではありません。

つい、数年前の話なんです。

そのとき東急のフロアーで売上ナンバーワンに何度も輝くことになるのですが、次第に心の疲れを感じ出すようになってきたのです。

その時期でした・・・・

パワーストーンを店頭で販売している時、お客様から「パワーストーンを使って潜在能力を開発」したり、「瞑想のときに用いたりすると願望が叶うことがある」・・・などの話を聞いて、すごくパワーストーンに興味を持ちました。

わたしと、パワーストーンとの劇的な出会いです。

そこで、自分でパワーストーンを購入して、半信半疑で使ってみたんですよ。

最初は、何の気なしに持っていたのですが、あるとき、すごく緊張した時にパワーストーンを軽く握ると緊張が消えていたんですね、気が付かないうちに。

それで、「これは、本当にパワーストーンだべさ。」ってことになったんですよ。

それからは、仕事を超えてパワーストーンのことを調べたり、運命開拓や潜在意識(チャクラ)の開発研究に没頭しました。

そのころから人間関係も円滑に運ぶようになりました。

リラックスして石と対話していくうちに自分が何のために生まれてきたのか?自分の天職は?などの問いに石が回答してくれることもありました。

あるとき、天然石研究仲間の一人が、当社のパワーストーンを購入してから「お宅で買った石のブレスレットが幸運に導いてくれた・・・」 そのように報告してくれたこともあります。

パワーストーンを購入してから、不思議な夢を見た方もいらっしゃいます。

ある会社に面接を受けたが、夢でパワーストーン(水晶ブレスレット)が出てきて、面接を受けた会社の前で、水晶が「パリン!」と割れたそうです。

2週間後、なんとその会社は倒産したんですね。・・・このような報告もあります。

夢の内容は、ほとんど、その方(ストーン購入者)を神が守護する意味合いの夢だそうです。

まだまだ、天然石・パワーストーンにまつわる不思議でたのしい話は尽きることがありませんが、続きはまた次回ご紹介しますね。

高橋は、天然石との出会いで心の安定と平安、それに天職を得ることができました。
天然石を眺めていると、石の方からわたしに語りかけてくることもあるんです。
石の美しさと神秘的なパワーに魅了されてから不思議なことに、以前から抱えていた悩みや問題が解決されていきました。
それも、自然に。
これは、石のお陰なの?・・・そんなことならもっと多くの人に天然石の素晴らしさを伝えたい。

そのようなわけでありまして、天然石を専門で扱いたい・・・石への強い思いと衝動を抑えることが出来ず10年以上お世話になった会社を辞めて、現在ネットで天然石のブレスレットを中心にご案内しております。

そして、過去の経験を生かして、ウツ、引きこもり、恋愛、経営、健康相談を通じてたくさの人と出会う日々を満喫しています。

相談をした人が、後日お礼の手紙を送ってくれることがあります。

その時の嬉しいことといったら、筆舌できませんよ!

こんな男でよろしければ、どうぞ「ちょっと変わった友人」としてお付き合いください。

パワーストーンとの出会いで、運命が好転した高橋はとても運の良い強運男。
今では、健康に幸せな生活を楽しんでいる。。。。。
そんな最高の強運男が声を大にしてお薦めするパワーストーンブレスレット。

わたしの人生を救ってくれたパワーストーン開運アクセサリー ブレスレット 

運命に幸せをプレゼントしてくれる幸運石のブレスレット

上記のようなつらい経験をした関係もあり、幸せ長者では、定期的にお客様からいただいた売上金の一部を、健全な福祉団体・施設に寄付させていただいていますことをご理解ください。

 

尊敬する人。といいますか、憧れの人物。
コーネイリアス・バンダビルド・ホイットニー
(コーネリアス・バンダービルド・ホイットニー)
米国の富豪、パンアメリカン航空創始者
米ニューヨーク州サラトガスプリングスの別荘で睡眠中に死去 93歳。
映画「風と共に去りぬ」の後継者。
競走馬の有力馬主としても知られ、生前、自ら『銀のスプーンをくわえて生まれてきた』と幸運を誇っていた(幸せ長者にぴったりの生き様!)。

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